2012年10月9日火曜日

『ジャックと豆の木』は、怖くて不思議なお話です

物心ついた頃からずっと、私は、おとぎ話や昔話に魅了されてきました。グリムやアンデルセンやアラビアンナイトの物語に、どれほど想像力をかきたてられたことでしょう。母は、子どもの頃から大切にしてきた古典童話集を、夜眠るまえにだけ取り出して、私たちに読んでくれました。出版全盛期の素晴らしい挿絵が入った貴重な本は、私にとっては神聖な書物であり、畏敬の念を抱くものでした。後に私が画家の道に進むことになったのは、そういった本のおかげです。
「ジャックと豆の木」タイトルページデザイン
 
 イギリスの昔話を絵本にするという依頼を受けたとき、いろいろな作品を調べ検討しましたが、結局、魅力あふれる『ジャックと豆の木』に気持ちは戻っていきました。不思議な力、見知らぬ謎の男、人食い鬼、雲の上の世界など、盛り上がる要素が満載で、絵を描くのが楽しいだろうなあと思ったのです。
表紙の鉛筆スケッチ
表紙デザインの別のアイディア(使ってない)

 『ジャックと豆の木』は語り部によって伝えられてきた伝承物語ですが、17世紀頃から様々な形で記録されてきました。現在知られている物語の原形とされているのは、19世紀に印刷された、ベンジャミン・タバート版と、ジョセフ・ジェイコブズ版です。
タバート1807年版ジャック物語の最初の知られている印刷

 私は、伝承により近いとされ、躍動感があり率直なジェイコブズの『ジャックと豆の木』をもとに再話することにしました。ただ、ジェイコブズ版には、ジャックが何度も豆の木を登り、盗みをくり返す正当な理由がありませんから、読者は思わず人食い鬼と女房を気の毒に思い、同情したくなるかもしれませんね。タバート版では、鬼はジャックの父親を殺し家財を奪ったことになっていますので、話の筋として整合性はあります。ただ、そうなるとまた別の問題が出てきそうです。いろいろ考えて、私はジャックを「勇敢な盗人」とする方を選びました。ジャックが道徳的でないほうが、物語はさらに盛り上がると確信したのです。読者は、人食い鬼と同じくらい、ジャックにも疑いの目を向けたくなるでしょうから。

初期のストーリーボードは、32ページのフォーマット本は最終的44ページまでのびました

 絵を描き始めると、他にもいろいろな疑問がわいてきました。ジャックに豆を渡す不思議な男は何者か。男は雌牛をどうするつもりなのか。雌牛はジャックに豆を渡す口実に過ぎないのか。豆の木を登る者としてジャックは選ばれたようだが、それはなぜか。あのあと雌牛はどうなったのか。こうした疑問に答えていたら、もう一冊本が書けてしまいそうです。そこで今回は解決しないまま物語をすすめようと決めました。ただ、雌牛のその後についてと、不思議な男とジャックの関係については、絵のほうで少し語ることができたように思います。
ジャックは不思議な男と会う.最初の鉛筆スケッチ

ペン画の段階

最後にできた絵

 物語に真実味を出すために、絵はかなり具体的に描きこみました。ファンタジーであっても、整合性のある世界でなければなりません。雲の上に不思議な天上の世界が成り立っているという不条理を受け入れた上で、あれこれ考えました。天上の世界に鬼と女房は二人きりで住んでいるのか、それとも、他にも家があり、住人がいるのか。雲がちりぢりに浮かんでいるとしたら、どうやって移動するのだろう。鬼は獲物となる子どもや子牛をどこで捕まえるのだろう。雲の上か、それとも地上へ降りる方法があるのだろうか? 
ジャックは雲の世界につきます

 雲が不思議な力で野原や建物をささえられるのなら、船も雲の上に浮かぶはず。そして、上空には風の力がふんだんにあるはずです! 私が描いた天上世界では、雲は、建物や村や野原や木などをささえる島と考えます。なにもかもが一片の雲の上に浮かんでいて、風力で動く船が、それぞれの雲をつなぐ役目を果たしているのです。
鬼の奥さんと会う。

 鬼は自分の船をもっていて、雲の上や下へ獲物を取りに出かけます。そのとちゅう、空飛ぶ鳥にたびたび出くわすことでしょう。そこで鳥は、おなかをすかせた鬼のおやつになります。鬼の台所に鳥や鳥かごがたくさんあるのは、そのためです。
鬼の台所

 さて、もう一つの重要なテーマは時代背景です。物語の歴史的な背景として、ローマ帝国撤退後からノルマン征服までにあたる、英国の『暗黒時代』と呼ばれた時期を設定しました。6世頃のイギリスは、デンマークからやってきたアングル族とドイツからのサクソン族、つまりアングロ-サクソン族に侵略され、原住民であるケルト系民族は国の片隅へと追いやられてしまいました。民俗学者によると、妖精や、その他の不思議な生き物の話というのは、アングロ-サクソン族が、無口で謎めいたケルト族のことを語り継いだものに端を発しているそうです。今回私が描いた鬼は、服装も態度も、打ち負かされた古い文化の遺物であるケルト族そのものです。するとジャック親子は、アングロ-サクソン族となりますね。『ジャックと豆の木』は、単に少年と鬼との戦いではなく、古来の部族と新参の侵略者との衝突でもあるのです。そう考えると、鬼がアングル族である『イギリス人』を嫌うのもうなずけますね!(鬼のせりふ、「フォッフォッ、人の血のにおいがするぞ。」の原文は、「イギリス人の血のにおい」となっている*
ジャックとお母さんは豆の喧嘩

金卵のおかげでお金持ちになったが、ジャックはまだジャックはまた上ります

 鬼の女房は、背は高いものの鬼ではありませんが、鬼と普通に結婚しています。また、それほど意地が悪いわけではないようですが、夫のためとあれば平気で子どもを切り刻んで煮込んでしまいます。夫の死後女房がどうなったのかは語られていませんが、きっとうまいことやっただろうと思います。大きな家を手に入れて、やっかいな鬼の夫から自由になれたのですから。
ケルト民族の鬼と奥さん

 『ジャックと豆の木』のジャックは、歴史的に『巨人殺しのジャック』("Jack the Giant Killer")という、私が大好きなお話と関係があるとされています。実は近々、ハリウッド映画として『巨人殺しのジャック』が公開される予定です。(日本題は『ジャックと豆の木』になるようです!*)ただ、この映画の内容は、巨人にとってなんとも残酷です。
鬼の家の中

 『ジャックと豆の木』の鬼には名前がついていることがあるのですが、それが『巨人殺しのジャック』に出てくる巨人の名前と同じであるなど、二つのお話には共通点があります。おそらく、口伝えされてきた多くの物語の中で、この二つは同じ部類に入っていたのでしょう。長年語り継がれていくあいだに、余分なところがそぎ落とされ、残った部分が磨きあげられ、今私たち知っている形になったのだと思います。ただ、この二つの話には、よく見落とされてしまう大きな違いが一つあります。(ハリウッドも見逃してしまったようです!)つまり、『ジャックと豆の木』でジャックが立ち向かうのは、あくまでも鬼であって巨人ではありません。これは明らかな違いです。鬼 (Ogre) は人を食らいます。そして、たいていの鬼は、ひとく醜い姿をしています。かなり大きな鬼もいますが、巨人ほどではありません! いっぽう巨人は、たいてい、ただの大男です。おつむが弱くて、欲張りで、ときには乱暴で残忍なこともしますが、人食いとして描かれることはまずありません。
ジャックはお金のを盗みます。サイズ比較に注意してください!硬貨に鬼王の頭がついてる


 ジャックが鬼から盗んだものを思い出してみてください。金貨の入った袋と、金の卵を産むニワトリ、そして金の竪琴でした。どれも巨人サイズだったとしたら、ジャックはとても持ち帰れなかったはずです。また逆に、人間用の大きさだったら、巨人には小さすぎて役に立たないでしょう。ですから、『ジャックと豆の木』の話に出てくるのは、巨人ではなく、Ogre(鬼)でなければなりません。ハリウッドにもわかってほしいところです!
ジャックの追求の
逃げて!

大変!

 他のおとぎ話とちがって、『ジャックと豆の木』のジャックは、冒険から戻ってもお姫様と結婚せず、かわりに母親と商売を始めます。鬼との空想劇がくり広げられたあとで、物語に現実味をあたえるこの展開が、私は大好きです。金持ちになり、幸せに暮らせるのなら、ジャック親子は他に何がいるでしょう。

 ただ、雌牛と豆を交換したあの緑の男のことは、やはり気になりますね。あの不思議な男と牛はどうなったのでしょう。鬼の女房が何か知っているかもしれません。ただ、口には出しませんけどね……! 
最後のページ

(このエッセイ雑誌「あのね」10月号のために書かれました。翻訳は小比賀優子さんに感謝します

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

素敵なイラストですね!
Beautiful illustrations! I'm impressed!